感謝

オリンピックが終わりました。
多くの選手が感謝ということを言葉にしていました。
感謝について先生の講話に戻ってみました。沢山語られている中の一つに
下記のようなものがありました。
(前略)
自我を超えていけば、その過程で必ず感謝ということが出て来るはずなんだと、で、
自然 に出て来るわけです。感謝するんじゃなくて感謝という気持ちが自分の中に
湧き出て来る。で、湧き出て来るような、そういう状態になった時には非常に
大きな力というものが生まれているんだということなんです。
感謝をするからエネルギーが生まれるんじゃないんです。そうじゃないんです。
感謝というエネルギーが出て来るから、そういう時には大きなエネルギーがもうすでに
あります、っていう意味なんです。で、なぜ感謝という想いが出て来るかといえば、
これは鶏と卵みたいな話しだけれども、自分の力でこれをやったんだという時は
感謝の念は出て来ないんです。自分を越えた何かある力、それはもしかしたら
他人の力かもしれないです。
例えば、子供が難病で医者に助けられたら医者に感謝します。これは親としての自分の
力が及ばないことに対して医者という自分以外の存在が力を与えてくれたからです。
そういうふうに、自分以外の存在の人間かもしれないです。親とか、そういう医者だとか、
何かの先生とか、もしかしたら自分を取り巻いているその時の環境かもしれないし、
色々な自分以外の何かある存在の力によって自分が何かを得たと、自分が喜びを得た時に
感謝という念が出て来るわけです。
(中略)
感謝の念が出て来たってことは裏返していえば、自分以外の何かある力を認めたって
ことなんです。そういう状態になっている人間っていうのは非常に強い力が、今度は
感謝している当事者本人が強い力が発揮できるんです。それは何かっていうと、
そういうことを認識できる時のその人の波動っていうのは、いわばある意味で全面的
じゃないにしても、ある部分で自分以外のものと同調していますから、そういう時は
人間はその人を通路として多くの宇宙エネルギーっていうのが通るわけです。我々は
自我があるために通路をふさいじゃっている。
(中略)
誰かに非常に感謝しているその瞬間は、そういう時はその人を通して非常に大きな
強い力というものがもし必要であるならばですけれども通って出て来るんです。
自我はなかなか超えられない。でも頑張りたい。