今年も明日を残すだけとなりました。
瞑想について、昨日までを振り返ってみました。
瞑想に出会う前は、真理は哲学者が解き明かすものと思っていました。
悟りはお坊さんがすること、お坊さんの仕事と思っていました。
座禅は知っていましたが、瞑想や精神世界という言葉は知りませんでした。
ですから、すべてが何がなんだか分からない状態で道が始まりました。
そんな自分が、よく今日まで続けられたと思います。
生まれてからずっと、この自分を本当の自分と思っている訳ですから、突然に自我、自己、真我、本来の自分などと言われても混乱するばかりでした。
自我と一体になっている、という言い方をすれば耳には優しく聞こえますが、実際には自分化してしまっている自我を扱うわけですから、そう簡単なことではありません。自我は幻影、見えないだけにやっかいです。
先生は、「扱うのは、たったこのスペース(自分)だけですから」とおっしゃいます。そうさらっと言われても、それがなんと難しいことか。決してたやすいことではありません。意識は外へ外へと向きたがり、内には入りたがりません。
自我を超えることは本当に大変なこと、なかなか超えられない。
でも、それがどれ程遠い道のりでも歩み続けて行こうと思う。