私の田舎では、お盆は大きな行事の一つです。
13日の迎え盆が近づくと、庭の草取りをしたり、家の中を片付けたり、外も内もきれいにして
祖先を迎える準備をします。
床の間がある部屋に、お盆だけの特設の盆棚を作ります。そして仏壇の中のものを全部出して
盆棚に移します。雛壇のように作られた盆棚には、花や野菜やくだもの、亡くなった人が好き
だったお菓子などを供えます。盆棚の周りには盆燈籠を置いて明りを灯します。今はロウソクを
使う燈籠はなく電気になり、しかもくるくる回ります。そういう時代になりました。
迎え盆とは、お墓にいる祖先を家に連れて来るということです。どうやって連れて来るかというと、
祖先を背負って家に連れて来るというのが定説でした。そして、お墓を出てから家に着くまでは
絶対に振り返ってはいけないとも言われていました。振り返ると祖先はお墓に帰ってしまうのだ
そうです。子供のころはその通り信じていましたから、お墓を出てから家に着くまで緊張して
歩いたものでした。
お墓は祖先を敬う仏教の行事です。15日が終戦記念日と重なっているので、死とか命とか
生とかに関することが、お盆には多く取り沙汰されます。死は頭で考えても分からないことですし、
理論や知識で知ることもできません。自我の死を体現できた人だけが、その死の向こう側に観る
ことができるものらしいです。定かではありませんが。
自我の死は私には到底無理なことです。でもそこに向かって進んで行くしかありません。それが
瞑想するということだからです。