懐かしい本

今年も後ひと月で終わります。大掃除や片付けを一気にするのは大変なので、時間がある時に
少しずつやり始めました。
押し入れの段ボール箱に入れてあった料理本の間から、「なまけ者のさとり方」という本が出て
きました。この本は、もう何年も前に捨てたはずの本です。薄っぺらな手のひらサイズの本なので、
料理本のページとページの間に挟まって残っていました。ヒットした本なので、精神世界をやって
いる人は読んだことのある人も多いと思います。
この本は、精神世界の歩み方が分からなかった頃に読んだ本の中の一冊です。
分からなかったというのは、今よりも分からなかったという意味です。私にとっては、分かったと
思えば思うほど分からなくなるのがこの道の常です。
瞑想に出会う前は、精神世界の類いの本を次から次へと読んでいました。この本はその頃に
読んだ本です。悟りや真理についての本、逆境を越えて強く生きているという人の本、心温まる
内容の本など、生き方や心の在り方の、要するにいいお話と言われる本です。本を通して誰々が
こう言っている、ああ言っているという世界で右往左往していました。
このような本は、自分が望む状態や好ましいと思える状態が書かれていますから、またそういう
本を自分が選びますから、読むことによって感情が動き、とても納得します。なんとなく自分が
そういう状態を得たような気持ちになります。でもそれは自我のレベルでの反応で、決して自我に
変革が起きて得たわけではなく、単に気分の問題でした。でも、自分ではそうは思えず何かを
得たように思えていました。自我は心より強いものでした。心を動かすことによって、それを
知ったかのように思わされていました。
本を読むことによって、今まで知らなかった知識や事実や物の見方とか理解とか、そういうものが
あったとしても、それは自我の上塗りでした。
このような自我の働きに気付いた時、金井先生の著者とその他の数冊の本を残して、それまでに
読んだ本を全部捨てました。
瞑想は色々な種類が数多くあります。その中から自分が選らんだ一つの道、その道で自分を
導いてくれる本があればそれでいいと思えています。それすら熟読できていないのが正直な
ところです。
あの時期は、本を読むことで随分自我を成長させてしまいました。でも、そういう時期があった
からこそ「すべてを受け入れて自由になる」に出会えたわけで、ものは考えようです。