我慢も限界

友人は実家が私の家の近くなので、実家に来た時は寄ってくれる。彼女とのおしゃべりは、
彼女がお婆さんと呼ぶ義母の話が多い。彼女は85才の義母と毎日悪戦苦闘している。
その日の話は以下です。
彼女は3時のお茶にあんパンを出した。
お婆さんは彼女に「お皿はいらない」と言った。
私は話を聞きながら、えっ、どういうこと?と思いました。
彼女もお婆さんの言っている意味が理解できなかったという。
お婆さんはまた、「お皿がいらない」と言った。
二度言われてみても、彼女はその意味が分からないままだったという。
するとお婆さんはあんパンをテーブルの上に置くと、お皿を食器棚にしまったという。
思わず私は笑いをこらえました。彼女は真顔で話しているし、ここで笑ってはいけないと思っ
た。でも、テーブルの上に置かれたあんパンとお婆さんのお皿をしまう姿が目に浮かび、お
婆さんの言動がやたらおかしく、笑いが込み上げて来てしまう。彼女に悪いなと思いつつ我
慢も限界、とうとう笑ってしまった。怒った口調て話していた彼女もつられて笑った。
二人の笑いが納まった時、彼女は「信じられないでしょ、お婆さんのお皿だからいいけど!」
と言った。洗わないでしまったお皿はお婆さんのお皿、だからそのお皿を使うのはお婆さん
だからいいんだ、という意味でしょう。
彼女が帰った後に、この一件が思い出され、また笑ってしまった。そして、お婆さんのパンは
スーパーで買ったらいいかも、と余計なことを考えてしまった。パン屋さんのパンは、袋に入っ
ているのは食パンかサンドイッチくらいで、他の種類のパンは袋に入っていない。スーパーの
パンはどれも袋に入っている。だからとりあえずお皿は無くてもいいかもしれない。
この出来事は自分の身に起きたことではないので、笑って済んだこと。この一件は自分も彼
女と同じことをやっていることを見せている。自分の基準はいつかどこかで自分の思いが作っ
た自我の一面、万人に共通のものではない。
瞑想は、自分が作って自分を縛っているものから自分を自由にしてくれる。
昔に比べたら私はずいぶん楽になったと思う。